INDEX
■モデル都市で成功体験を導く〜ハイビジョンシティ構想
■ハイビジョンは必要不可欠か?〜その技術的仕様
■ハイビジョンと水棲生物の意外な関係〜水のない水族館
■普及の鍵はソフトにある?!〜ソフト制作の悪循環
■自ら選択する「目」の函養が肝要〜行政の役割
■ハイビジョンシティは需要喚起的な思想?
■そして、ハイビジョンの意義
■モデル都市で成功体験を導く
〜ハイビジョンシティ構想
ハイビジョンがあまり普及していなかった昭和63年ごろ、何とか普及させたい…と郵政省は考えました。ただ、ハイビジョンの端末を買ってホールに蒔くということは国の予算としてはなかなか難しい。しかしながら高い端末を普及させるためには何か方策があるだろうということで、以前からあるテレトピアという計画を参考にすることにしました。ニューメディア(CATVとかパソコン通信とかビデオテックスとか…そういったもの)がなかなか定着しないので、全国各地でモデル都市を作って重点的にお金やノウハウを投下して、そこで成功体験を作って、それを似た環境の街が見学されて「これぐらいのお金でこんなことができるのか…じゃあやってみよう」というふうに《百聞は一見にしかず》というふうに普及させていく構想がテレトピアでして、それを焼き直した形でハイビジョンシティ構想を始めることにしたのです。
「きれいな映像」ということですから、どちらかというと文化的なもの、教育的なもの、あるいは医療とか…そういったところが多いんですけれども、各々の街で独自のいろいろな使い方をしていただいて「これはいいもんだ」という成功体験を全国に広げて行こうというのがハイビジョンシティ構想の趣旨だったわけです。
似たようなモデル地域構想としては通産省の「テクノポリス」というのがあったりします。これは工業集積拠点を作っていく計画でありまして、たとえば道路を整備する、工業団地を整理する。で、そこに工場等が立地しやすい環境を作っていきましょうという…これはまあ、昭和30年代の「新産業都市構想」以来ずーっといろいろあるんですけれど、その一貫で昭和60年代にでてきたのが「テクノポリス」という…平たく言えば、工業団地を作るための国の支援をいれた特別なモデル地域ですね。
ハイビジョンシティ構想の場合はハイビジョンというシステムが根づくようにするためのものですので工業立地というのとは全然視点が違うということになります。
■ハイビジョンは必要不可欠か?〜その技術的仕様
これはそもそもユーザの決める話であって(郵政省としては)わからないということです。ただ、昭和46年ごろから技術開発がすすみ、今ようやく50万円をきる端末が出るようなところまできているわけです。ところで、1125本の走査線が525本に比べてきれいかどうか、あるいは不十分か。不十分だったら多くすればいいか…これにはいろいろ議論がある筈です。ただ言えることは、525本と1125本を比べた場合には表現力はかなり違うということは間違いないと思います。もちろん、1125本よりは2000本、4000本のほうがいいに決まっています。例えば新聞紙の大きさで、新聞紙並みの表現をすることになった場合、4000本いると言われています。4000本はいいに決まっているんです。その半分の2000本でもハイビジョンの倍近くあります。ただ、2000本の場合には端末が一個…そうですね、いま千万円(?)のオーダーですし、目方だって100キロ近くある、ものすごく重いものなんです。
ハイビジョンが昭和46年にスタートしてようやく家電の領域に近づいてきたという経緯からすると、2000本がいかに良くてもまだ消費者の(=家電の)領域には来ない、ということになると思います。そういう意味では「ハイビジョン」が究極の到達点などとは毛頭思いませんけれども、ひとつ大きな一里塚であることは間違いないと思います。
それから…人間が映像を見るという場合に、パーソナルな情報でインタラクティブになるときは、どちらかというと15〜17インチといったものに、割りと近付いてやるほうがいいかも知れません。同じ視野角にしても。
人間というのは電話は一日5分しかかけない。テレビだったら3時間近くみる。というようにインタラクティブに3時間映像と双方向にやるなんてことは、土台できないんです。テレビ等というのはある意味で環境映像的に見ていることも否定できないのであって、そういう環境映像的にpassiveに見るときには、むしろ大画面で距離をおいて見たほうがいい、ということになります。
したがって映像情報の質によって…どれほどインタラクティブ性があるかとか、あるいは環境映像的にpassiveなものか、というのは一つ大きなポイントだと思いますけれども…それによっては大画面の精彩度の高い技術が求められるのは間違いないだろうと思います。
さて、それで今度はハイビジョン=1125本はいいとして、じゃあNHKの方式がどうかという議論ですけれども。ご存じのように…本来であれば、住宅に電波あるいは光ケーブルを使ってフルデジタルで圧縮することなく原画レベルのものを送れるのであればそれに越したことがないんです。けれども、そうはいきません。であれば、限られた伝送路を有効活用するために何とかしよう…ということで出てきたのがミューズ方式です。したがって、それが出てきたことについておかしいじゃないか、っていうこと自体…それはおかしいだろうと思いますよ。
じゃあ今後、ミューズ方式はどうかということですが。たとえばCSでデジタル衛星テレビが今秋スタートして非常に伸びつつあります。「パーフェクTV」とか…嬉しい悲鳴をあげています。このようにデジタル化によって、BSでアナログで流しているようなテレビよりもっと電波、伝送路の有効活用が可能になってきた、と。じゃあそれにあわせた形でハイビジョンのミューズ方式、伝送方式も変えりゃいいじゃないか…。それは論理的な考え方としては当然あると思います。十分な理由があることだと思います。
ただ、どんな方式がいいのか、ということを決めるとなった場合に、非常に時間がかかるわけです。それに方式が決まってから端末なりを開発してそれを量産するということになっていくと膨大な時間がかかることは間違いないわけです。そうすると、ここしばらくの間でやるということになったら、やはりミューズ方式ということになるんだろうと思います。
でもミューズ方式の寿命というのは…むしろ私は伝送方式として見た場合には技術革新をどんどん取り入れて行けばもっと見やすくて奇麗でいい方式がでてくるわけですから…あまりハイビジョンのディスプレイそのものではなく、伝送方式部分にこだわる必要はないように思います。ディスプレイと伝送方式は分離し、新しい技術との多様な組み合わせが実現する可能性は高いだろうな、という気がします。
■ハイビジョンと水棲生物の意外な関係〜水のない水族館
伝送手段と違ってコンテンツとして見た場合には、LDとかカセットテープとか…BSで流すやりかたもあれば光ケーブルで流すやり方もあるし、いろいろあるはずです。それはそれでいろんなやりかた、映像情報に応じたやり方をすればいいわけで…たとえば、変わったやり方では、ソニーがブラウン管をつくってNECが売っている『金魚鉢』という製品があります。これはどういうものかというと、ハイビジョンのディスプレイの前に2センチぐらいの腐敗しない水の層をいれて、そこで下からぶくぶくと泡をだす。あとはハイビジョンの後ろにチューナーではなくてビデオの再生装置があって、何を再生しているかというと大和郡山の一匹150万円の金魚の泳ぐ映像が流れている…たかがそれだけかということですけれども、とくにアメリカ、アラブの砂漠の国などではまるで本物の、非常に奇麗ですばらしい水槽だということで人気が出ています。これなんかも一つのハイビジョンの高精彩を活かすやり方です。
これ…商売にはならないと思っていたんですけれども。餌をやらなくてもいいし水をかえなくてもいい。それでなおかつ一匹150万円の金魚が寸分違わぬ実物のように見える。とくにそのハイビジョンというのはガラス越しに見ますが、そもそも水槽というのもガラス越しに見ますね。それがリアリティです。どちらもガラス越しで見るので、陸性の動物などに比べるとはるかに本物に近いリアリティを感じるのだと思います。
奈良県の生駒に『水のない水族館』があります。平成5年の補正予算案を使って実現しました。そこにはハイビジョンが30個ぐらいあります。一番大きいのは600インチのハイビジョンがあって、そこに巨大なジンベイザメの実物大の映像を流したりしてるんですね。それを見れば、あたかもみんな水族館のように見える…というふうになっています。
このようにハイビジョンの使い途というのはいろいろあるはずです。ですから「ディスプレイとしてのハイビジョン」と「伝送手段としてのハイビジョン」はやはり分けて考えられた方がいいんじゃないかと思います。前者のほうは結構その…2000本がでてくるまで、時間がかかるように思います。技術開発的な面ではなく、実用性=家庭にいつ入るかという面でです。あとはそれぞれに応じた情報に従い、そのときの技術でその方式が決まるということで、いいんじゃないでしょうか。
私事ですが、昨年の12月に36インチの「パワーワイド」というディスプレイを購いまして、球はハイビジョンなんですが普通の横長テレビで、チューナーをつければハイビジョンも見れます。あるいはパソコンを繋いだり…まあ、ディスプレイの独立性の高いものなんですけれども。ですから、いま私が申し上げたことはユーザとしての実感でもあるんです。
■普及の鍵はソフトにある?!〜ソフト制作の悪循環
ハイビジョンの普及についてなんですけれども。ソフト制作の面がやはり非常に問題だと思います。これは一つはそのレコーダというのが…カメラも含めてですけれども…数が少ないということもあるし、高精彩ということもあって非常に重い、高い、大がかりで、誰もが簡単に使えるものではないわけです。臨海のMXTV=メトロポリタンテレビでは、ビデオジャーナリストという人がNTSCクラス(民生)のビデオカメラを使って、ひとりで撮影・インタビュー、そして最後は編集までできるくらいになってきていますが、ハイビジョンカメラはそれのまったく逆、反対方向であって手間がかかるということです。あと、高精彩であるということもあって、ベニヤ板にペンキを塗る…程度の大道具では持たないというのもあります。
これではソフトを作るのにすごくお金がかかる。かつ、今のところはそんなに普及していないので「それだけ金をかけたソフトをいったい誰が見るんだ」ということもあったりして、なかなか縮小の悪循環から抜けられない…というようなところがあるのは事実です。
ただハイビジョンの映像というのは…伝送部分の一部を除けば基本的に全部デジタルですから…いかようにでも加工ができるわけです。原画をハイビジョンで撮っておいて、NTSCに落として普通のTVで流す…というやり方はずいぶん前からされています。いずれ普及したときには原画のバージョンでも見ることができますよ、ということで、まぁおいおいと行くんだろうと思います。
ただ、現在ハイビジョンのソフトだけを考えた場合にはなかなか大変だということです。ちなみに先程の『金魚鉢』の例でいくとLD1枚7万円とか言っていましたから…金魚だけじゃなくて、イワナもあったり熱帯魚もあったりということでですね。やはり量産になれば安くはなるだろうという感じはします。
■自ら選択する「目」の函養が肝要〜行政の役割
先ほども少しお話し申し上げましたワイドテレビですけれども、これは4:3がいいか16:9がいいかというアスペクト比の問題でありまして、どっちがいいかというのはこれはやはりユーザの決めることですが、一般的には4:3のときにはアップが多くて16:9のときは引いて定点観測的な映像が多いように思います。いずれにしても、それぞれに応じた撮影技術があるようでして、あとはコンテンツがアップで追いかけるのにふさわしいものなのか、定点観測的なものがふさわしいものなのか、それはそれに拠るんじゃないかと思います。ただ、大相撲とかサッカー、野球中継については圧倒的に16:9のほうが人気があるようです。これは経験則的にそのようです。
それからパーフェクTVに代表される「多チャンネル時代」になった。画質ではなく内容について問われているように思うが、それでもハイビジョンを求めるか…という疑問についてですが。これは結局どちらか一方ではないということです。
ファミコンとスーパーファミコンを考えた場合に、当然スーパーファミコンのほうが奇麗です。本物に近いです。しかし、つまらないソフトであればスーパーファミコンだって誰も見向きはしない。むしろドラゴンクエスト等の、ファミコンのソフトのほうがよっぽど面白いということになります。
同様に、ハイビジョンで奇麗な花だけを出していても誰も見てくれない。むしろカラーより白黒でも『お笑い3人組』のほうが面白ければそっちを見る…ということで結局1に内容、2に表現。ただ、内容が同じであれば表現のいいほうがいいに決まっている。あとは値段の問題ということになるかと思います。それから特に学術的なものとか美術的なものというのは、やはり画質がかなりのウエイトをもつということも事実だと思います。
デジタルになって、多チャンネルになって…というのはその通りですし、コンテンツも一作品あたりのディストリビューション(頒布)のコストが安くなっていることも事実です。それとハイビジョンの求める高画質というものは、どちらか一方ではなく、それぞれあるんだろうということです。あとは、その時の技術に応じた値段というのが決まってくるはずであって、その値段が視聴者のお財布と照らし合わせてどうかということに尽きるんだと思います。
だから、あんまり「どっちかじゃないといかん」とか、まして「それを行政がリードしなきゃいかん」などということではなく、むしろ視聴者が自ら選択する目を養っていかれることのほうが重要なんだと思います。